カテゴリー:暮らし
先日、2人で「くじらびと」という映画を鑑賞しました。場所は恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館。「くじらびと」は映像作家の石川梵(Bon Ishikawa)によるインドネシア東部の島にあるラマレラ村の人々の狩猟生活を扱ったドキュメンタリー作品です。グアム国際映画祭観客賞などを受賞した作品として国際的にも評価されていて、たまたま最近になりその存在を知り、全国のアンコール上映期間もいよいよ10/14が最終日と知って、平日でしたが予定を調整して観ることができました。今日は、この作品を見て感じたことを記録に残したいと思います。
写真は「くじらびと」のパンフレットです。
今回、「くじらびと」というタイトルに惹かれて是非見たいと思っていました。運良くアンコール上映されていて劇場で鑑賞することが出来たのと、当日は監督による舞台トークセッションも楽しめました。捕鯨を生活の糧にしているという非常に賛否両論がありそうな生活スタイルを送る彼らラマレラの人たちですが、日本人もクジラ肉と縁が無いわけではありません。
日本のスーパーマーケットの中には、捕鯨季節になるとクジラ肉が魚肉と共に棚に陳列されることがあります。日本では高級肉という扱いで売られていますが、ウマが子供の頃に食べた味を思い出すと正直言って美味しくなかったです。親も特にクジラ肉が好きな訳ではなく、経験として一度食べてみなさい、という事で買って食べてみた程度です。クジラ肉と一口に言っても、いわゆるクジラである時とイルカである時があります。イルカはクジラ目ハクジラ亜目に属するので、イルカ肉をクジラ肉と表記して売っているのでしょう。日本の野菜や肉の表示については基本的に食品表示法を守っていれば良いという点に、私たち消費者は注意が必要です。そして日本の「調査捕鯨」についてはかなり黒い話があるので、気になる方はご自分でお調べになると良いかと思います。さて、ウマが子供時代に食べたものがイルカ肉なのかクジラ肉なのか定かではありませんが、石巻市や千葉県、和歌山県などで捕鯨が行われていること、私たちはVegan食を実践していて自然環境・動物福祉などに関心が高いこと、世界の文化に親しみたい、といった様々な思いが交錯する中での鑑賞となりました。
舞台はインドネシア東部の人口13.5万人あまりが暮らすロンブレン島(レンバータ島)、この島の南海岸に存在するラマレラ村では1500人程度のコミュニティが形成されています。ここは、伝統的にマンタやマッコウクジラ、オキゴンドウ、ジンベイザメ、イルカ、マンボウなどの海の生き物を狩り、生活の糧にしている伝統的な暮らし方が今なお残ります。なお、インドネシアは国際捕鯨委員会(IWC)の非加盟国です。
ラマレラ村では、その土地の特徴から野菜など農作物が育ちません。村は海に面した場所にあり、インフラも十分に発展しておらず、村民が食べていくには海の幸が必要です。この海の幸は、本当に天からの恵み的存在で、週に一度、別の村との間で開かれる定期市で、海の幸である干したクジラ肉を女性が持ち運び、定期市で売られている主食の穀物やバナナなどの山の幸と物々交換することで手に入れています。そして、ラマレラ村では男女で役割が分かれているそうで、男性は危険な海での狩りと獲物の解体作業、そして造船などを担い、女性は織物や塩作り、海の幸を運び、海水で洗い天日干しする保存食化などを担います。各家庭の子供も、解体が済んだ肉を運搬し海水で洗ったり天日干ししたりといった部分を手伝います。くじらびとでは、この辺りの文化がしっかり映像に残されています。
村民はいわゆる原住民族ではなく実はインドネシアの東部諸島から16世紀頃に渡ってきた移民で構成されています。最初の移民が今の海での狩猟をしていたのが、現代のラマレラ村での捕鯨に歴史的に繋がっていきます。そして、ここの村民はキリスト教のカトリック教徒でもあります。19世紀後半にイエズス会の宣教師によりキリスト教文化が島に持ち込まれました。外国文化による現地文化の変容が起こった訳です。その後、カトリック教徒を増やしていき、くじらびとの映画では村民全員がカトリック教徒という説明がありました。村には教会が建っていて、中ではミサなどの宗教的行事が催されます。当然、村には神父もいます。ラマレラ村では何か悪いことが起こると、大地の神(森の神?)に祈りと供物を捧げる。こうした行為は村の自然への畏れ(信仰心)から来るもので、キリスト教との宗教的な認知戦争(価値観という脳内の土地の奪い合い)を想像させます。
くじらびとに映る現地の人たちは、痩せている印象ですが筋肉はしっかりしていました。子供はまだ子供の体格ですが、大人の男性は本当に狩猟生活をしているんだな、という体格です。村の男性全員が漁師ではないようですが、造船に携わっていたり、と村の生活の一端を担っています。これはドキュメンタリーの映像作品なので、監督 石川梵氏の意図が込められた作りになっている点は観る側も留意しなければなりませんが、どうやら村民の中には現代的な生活を求めて町に出稼ぎに出たり、捕鯨などの伝統漁業に非協力的な若者もいるようです。しかし、村人の間には先祖から継承された伝承があり、海からやって来てこの島にたどり着いたという自分達のルーツの言い伝えを大事にしています。特に伝統を重んじる年配の方は、若者が伝統を継承してくれないのではないかと心配をしています。
ラマレラ村での漁は銛(もり)で突く方法を取ります。鯨やイトマキエイに対しても同様です。体の大きなこれらの海洋生物は、負傷すると反撃してきたり、暴れたりと非常に危険です。片腕を負傷したり、時には死人が出ることもある非常にリスキーな行為。村では彼らの中でも鯨漁をする人たちは尊敬の念を込めて「LAMAFA(ラマファ)」と呼ばれ、子供たちの憧れの将来像でもあります。
ラマファを夢見て銛の練習を繰り返す子供たち。彼らの目には伝統漁法を行う大人たちの姿がカッコよく映っていることでしょう。
単にクジラやイルカやウミガメなど海の大型生物が可哀想という言葉では片付かない彼らの狩り。その大小や手足の有無に関係なく、生き物の命を頂戴する行為に対して思考停止にならないラマレラの人たちがそこには居ました。子供の頃から生き物の生き死にに触れ、日本の都市部などで暮らす私のように、普段から生き物を殺して食べることとはほぼ無関係な生活をしている側からの視点とは明らかに異なる考えを持っていると思います。
彼らは地球の贈り物、神の贈り物の食べ物としての生き物に感謝をして生きています。「フードロス」は無く、体の全ての部位を無駄なく利用します。後に知ったのですが、クジラの頭を海に返す信仰があるのだそうです。
フードロスのことを考えると、彼らの全てを無駄にしないという行為には敬服します。というのも、過去に何人も集まって飲み会をした時に、居酒屋でどんどん料理と飲み物を注文しました。最初は皆食べていますが、中にはパセリ、レモンや刺身のツマなどのよく日本人が残しがちな食べ物は皿に放置されて、飲み物もグラスに僅かに残ったワインやビール、カクテルなどはテーブルの上に残ったまま、食べ物も飲み物も新しい物が次々と注文されていきました。これを繰り返していき、テーブルには残り物がどんどん溜まっていくので、店員がやって来て片付けていきます。店員はキッチンまで持って行った余り物をゴミ箱へと捨てるのです。お金を払えば多少のフードロスがあっても気にしませんでした。しかし、よくよく考えてみると、フードロスの問題はゴミ箱に向かう「余り物」だけの問題ではないですよね。
例えば、フードロスで多そうな「刺身のつま」を捨てる時を考えてみます。大根や紫蘇、パセリ、海藻などがつまによく使われていますが、刺身を注文したり、スーパーで購入すると、こうしたものも添えてあります。野菜なので食べる人もいると思いますが、魚がメイン料理なので食べずに残してしまう人もいますよね。つまの食べ残しを捨てるという行為は、食材そのもののをロスすること、食材を生産するコスト、つまり食材生産に必要な水や電気、化石燃料、ビニールハウスや海藻を採取する道具の生産エネルギーをロスすること、食材の選別や輸送、包装にかかる人の労働エネルギーをロスすること、輸送に係る車両代やそのガソリンなどのエネルギー代をロスすること、車両が通り劣化した道路を修復するのに係る諸々のコストなどをロスすることなど、ものすごく多くのエネルギーが無駄になっています。
「豊かな生活」を送っていると目の前に食べ物がありお金を出せば手に入る時代になり、こうした目の前の財やサービスに費やされて来たエネルギーなどを意識することも無くなってきました。それを大人から子どもまで、多くの人が「当たり前」だと感じて無視できるからこそ、社会は発展しているとも言えます。
しかし、価値観の差、世界の見え方の差をこの「くじらびと」の人々は思い出させてくれました。
地球温暖化問題しかり、水資源の問題しかり、多くの資源が劣化しています。メディアは錯乱させるような情報を流して、スポンサーとなっている既得権益に利益が出るようにコンテンツを配信していっていますが、そこのメディア側の人たちもまさか自分が情報操作とも取れる戦略の実行に加担しているとは夢にも思っていない人もいるでしょう。実際は、メディアを作る人たちは賢いので、そうした事実や策略を知っていて「仕事だから」と言い訳を垂らしながら社会を混乱させています。
今回は、この「くじらびと」を通じてフードロス、文化とは何か、地球環境問題とは何か、メディアとは何かなどをより深く考えることが出来ました。
いかがでしたでしょうか。フードロスは現代の最重要問題の一つです。Long Life Journeyでは私たちがこうした問題から目を逸らさずに向き合うきっかけを与えられれば良いなと考えています。